2024年も深まってまいりましたねぃ。あらゆる興味が続かずに3週間で終わるという性格なのですが、今年最後のブームは民俗学になりそう。

今日はハレとケとケガレという桜井徳太郎の民間信仰に対するモデルにインスパイア(なんでありにする単語)されて、就活戦線における身の据え方を確定させようと思う。つまり、前半は読み飛ばしパート、後半で就活終わってるやつへの愚痴。

ハレとケとケガレのモデル

宗教学では民間信仰において、ハレとケ(西洋的に言えば聖と俗)との二項対立で捉えることが通説となっている。例えば晴着と褻(ケ)着などがある。

しかし、桜井が言うにはハレとケの関係を聖俗二元観では捉えきれていないという。例えば、ハレの舞台である空間(結婚式場や斎場、祭場)は、例のようにハレの舞台として特別に用立てられることもあるが、小さな民間信仰では、民家がケガレを払われて、聖域として確保される場合もあるということである。文化人類学の伊藤幹治はこれを〈イレカワリ〉の原理と称している。確かに背反ではなさそうだ。

また、日本の民俗学がケを日常態、ハレを非日常態で切り分けたことをハレとケが「相互依存的」、「相互転換的」であることから批判している。ハレの世界はケの世界に内在する要因が転回することによ理、逆もまたしかりである。

確かに、カソリックの修道院などに代表される絶対的な聖俗二元論とは日本の生活はかけ離れているといっていいだろう。強いていうなら仏教的であるが、宗教の話はまた今度。

ここで、ケの意味について、桜井は褻ではなく「気」の字を当てることによって「農業生産を可能なら占めるエネルギー」としている。これは動植物の成長を促す細胞分裂の、生殖のエネルギーを科学的な知見を持つ前に造化の神の営力として見ていたからだという。

そうすると、ケガレの意味は「気枯れ」となり、そのエネルギーが低下していることを示している。そして、ハレは農業生産活動を、つまり、日常生活を維持するために必要なエネルギーを充填させるためのポンプの役割を果たす。

また、ハレにもプラスとマイナス、二つの種類があって、プラスのハレとは結婚、豊作、豊漁などの吉事を祝うための非日常行為で、マイナスのハレとは、死、、不作、禍厄などの凶事の非日常行為である。これらはどちらも儀礼的には現代ならばそれぞれ白無垢(ウェディングドレス)と、喪服というハレ着をきて、ハレの食事を口にする。こういった非日常という点で両者は似通っているのである。

といったような内容であった。

ケとしての労働

さて、上の文章での農業生産活動は現代においてはその範囲を広げている。だが、直接的に食い扶持を確保するか、間接的に確保するか、生活が貧しいか豊かかを除けば、生活がかかっているのは同じだとも言える。

現代社会はハレとケの境界が曖昧になっている。個人的には現代人はリズムを失っていると考える。農耕時代の暦に従ったリズムある生活を現代に取り入れたらより良くなるのでは、そして、こんなにも圧迫感のある労働にはならないのではと思う。

やっていけそうな職業の特徴

前述の通りリズムが欲しい。この時期は田植えで、夏は暇、そして、稲刈りで、冬は家で内職。そういう繁忙期と閑散期が分かれている職業がいいかも。そして「気枯れ」となった際に例えば土日とかに気軽に充電できる忙しくない職がいい。周りのスーパー人間たちに釣られて、忙しいが金払いのいいとこに行こうとしかけてたけど、これは自分に合っていない。本当は自分のリズムを刻みたいので、会社にはあまり属したいとは思わない。まぁ今までの人生自分がリーダーやってない組織で何かしらのいざこざを起こしてきたことにようやく気づいたからなんだけど。俺って厄介者!?

というわけで、リズムがある会社でいずれ独立できそうな会社か、資格とっていずれ独立した時に耐えられるように頑張ります。

みんなの就活がひと段落し始めていることへの不安

もうみんな人生確定らしい。俺は?年内内定って言葉すら知らなかった俺は?相当まずい?知ってる。流石に就活明らかに向いてなくて、えーっと調べたくない。まずい。『できないことはやりません ~テレ東的開き直り仕事術』とかいう元テレ東佐久間の本しかビジネス書読んだことない。ビジネスって何?学生時代力を入れたこと、マジで心身を整えて、精神病から復活したことしかないよ。こんなこと言ったら絶対落とされるか終わり。

まぁでもなんとかなるし、なんとかするんで。かつての自分の夢叶えて救済するんで。理想の父親なるんで。相対的愛を極大化して絶対的な美を現すんで。いっぱい佳蓮とお話しする予定なんで。佳蓮の成人式の振袖姿で泣く予定なんで。

ハレを際立たせる

さて、ケについては書いていて、苦手分野だと感じた。なかなか深めることができないし、どうにも小手先のことでうまくやろうという感じではない。バンドで言えばドラム、能で言えば鼓、人間で言えば腰だ。

ハレは多分得意分野だ。ただ今ハレの日が多すぎてリズムが刻めていないのだ。これの解決策はハレの日を減らすか、大ハレの日を作るか。こんなのは二つに一つである。大ハレの日を作るのに必要なのは複層的計画だと思う。私のハレの日は常に思いつきに満ちている。満ち満ちている。ミチミチッ。いつ破れてもおかしくない。そのくせすぐ萎むもんだから複層的にならない。今度からは企画をもっと練るようにしなければ。

参考文献

桜井徳太郎 1974 「「ハレとケ」新考」(『リーディングス 日本の社会学19 宗教』,49頁-58頁,東京大学出版会)

桜井芳生 「ハレ・ケ・ケガレ」問題への五極モデルの提案