三島全共闘の机の下り
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生産関係(目的のための道具・手段、日常的カテゴリ)から戦闘目的(のための手段、非日常的カテゴリ)へカテゴリが顚倒した。三島はさらに闘争による死の狂気によって、未来=目的が小さくなる。さらに戦闘目的=非日常的カテゴリにおいては道具・手段=物質が強い力を持っている。すると、目的⇆道具・手段の平衡が壊れる。そのため、物質(事物)が現れ、それに伴う空間が立ち現れる。
ここの全共闘Cと三島の解釈に違いがあると思ってて、Cは戦闘手段としての事物が出てきて、空間を作り出すから革命だと言ってる。
三島はどちらかというと、人間が不遜に物を縛るそのカテゴリが破れて事物そのもの、或いは物自体のようなものが立ち現れてほしいと思っていたのではないか?この違いはCが演劇という社会的な関係を多分に必要とする種の作品を作っているのに対し、三島は小説というそうではない種の作品を作っているところに現れているかな?
ペンは目的(の象徴、形式的には従属する手段)、机は物質(の象徴)とするとこの上で、(平衡状態の)関係があることで、作品という資本が生まれる。
三島はこの平衡の両側を大きくしたいと思って、足りてない物質をボディビルやら楯の会で補ってた。
最後市ヶ谷のあの結末になったのは、物質をやってるうちに目的が弱くなって、物質に飲み込まれてしまったんだろうな。